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神さまたちの遊ぶ庭

神さまたちの遊ぶ庭

著者: 宮下奈都/作

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楽しいことは真剣に
家族のたっての願いで北海道に移住した1年間を描いたエッセイ集。
一家が暮らしたのは北海道のど真ん中、冬場に外にいたらコンタクトレンズ(断っておきますが目の中に入れているやつですよ)が凍った、という信じがたいエピソードがさらりと出てくる油断のならない酷寒の地での厳しい暮らしが描かれている。
でも、読後感はえらいこと楽しい。
私のような無精で臆病な人間が軽々しく楽しいなどと言ってはいけないかもしれないが、やっぱり読後の素直な感想は、「楽しい」だった。その理由を考えると、著者の細やかで心にすっと入り込んでくる柔らかな文体もあると思う。また、一家の、濃くて愉快なキャラクターにもよると思う。でも一番は、出てくる人たちみんなが“真剣”だからだろう。行事でも日常のことでも、まず大人たちが真剣に楽しむ様子が描かれている。例えば、小中学校合同運動会。子どもたちの数が少ないので、町内総出で手づくり感満載の会になる。そして、そこに手心は一切加えられない。障害物競走は、「むせて掘り出せないよね普通」というツッコミを入れたくなるくらいの大量の小麦粉の中に、深く深くマシュマロを埋め込む。リレーをすれば「一般的な成人のレベルじゃない」と言わしめるほど、異様に足の速い先生たちが俊足を競い合う。学芸会ともなれば、練りこんだ台本に凝った衣装や小道具を用意し、ピアノ伴奏者は演者に合わせて楽譜をアレンジしていくなど、町内全体で盛り上げていく。
それを見た子供たちが思わず「カッコいい」とつぶやく。
それがとても気持ちいいのだ。
楽しいことは真剣から生まれる。
(中央図書館・だいず)

私たちの世代は

私たちの世代は

著者: 瀬尾まいこ/作

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カレンダーの付箋
わが家では、家族の予定を付箋に書いてカレンダーに貼っている。
先日、4月の予定の張り替えたら、空欄が目立ち、少し寂しかった。
末っ子がこの春、中学生になり、スポ少や習い事、学校行事などこれまでつかっていたたくさんの付箋が不要になったからだ。

そんな白いカレンダーを見て、あのときの事を思い出した。
コロナ禍だ。
子どもの行事も大人の行事も徐々に少なくなり、カレンダーは真っ白になった。
初めて経験した自粛ムード。でもだからこそ考えた人との付き合い方や距離感、そしてこれからの生き方。息苦しい気持ちの反面、人がいなくなった町で感じた開放感。
そんないろんな気持ちがこの本を読んでいたら思い出された。
ついこの間のことだったのに。

この本の主人公は、全く違った環境の中で育った小学3年生の二人の女の子。コロナを恨み、コロナに感謝しながら大人になっていく様が15年にわたり描かれている。二人が、人生を肯定的にとらえられるようになるのに、何が必要だったのか……コロナ禍という経験を子どもの目線で描く。

私はあのとき自分時間を楽しむスキルばかり身につけた。それはそれで楽しかった。しかし、ふりかえって思うのは、やっぱり人は人と関わってこそ、生きていけるのはないだろうかということだ。この本の主人公の二人の人生とも重なる。
カレンダーの付箋はやっぱり多いほうがいい。

コロナ禍の開始から5年回目の春を迎えた。
10年後、私たちはどう変わっているのだろうか。

(中央図書館・いみ)

嘘みたいな本当の話

嘘みたいな本当の話

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事実は小説よりなんとやら
私は思わずニヤリ。そしてホッコリする話が好きである。それが作り話のような実話であればますます興味深い。
この本には、Web文芸誌「マトグロッソ」に寄稿された日々の些細な物語の中から、選者が選りすぐった作品がテーマごとに紹介されている。。1行完結のものからじっくり読ませるもの、最後にそうくるかというオチまで。世の人々の見解の広さにツボる。そして、ほしよりこさんの装画にもニヤリ。
ということで、私も寄稿。

双子の姉の話。
お気に入りのブーツを履いた姉と出かけた。ドラッグストアでウロウロしていたとき、ふと姉の足元をみると何かが落ちている。ん?ゴミ?いや、まじまじ見るとそれは姉の靴底の一部であった。なんと靴底が限界をむかえ劣化してはがれおちていたのである。
そういえばさっきから後ろに人の気配があった。それは見つけたゴミはひとかけも残すまいと一心不乱に掃除をする店員さんだったのだ。
店内のあちこちに靴底を落とし歩いた恥ずかしさと気まずさで慌てて店を出て駐車場へ向かう途中、ブーツの底は完全に終わりを迎えた。地面にボトンと落ちた靴底に失笑する姉。それを見て大笑いする私。
(でもそれ以上に店員さんのぜんまじかけのネズミのような動きが思い出されほっこりとした笑いのツボにはまる二人であった)。

う~ん、これはボツかな。
(中央図書館・ヨラコ)

傲慢な婚活

傲慢な婚活

著者: 嶽本野ばら/作

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アイスロイミ
「アイスロイミ」
これは、学生時代、私が考えたアイスロイヤルミルクティーの略称。この略称が可愛いってだけで、アイスロイヤルミルクティーがお気に入りの飲み物になった。これがいいと思ったんだからいいでしょって感じ。
そんな自己中マインドは、この本の著者で当時「乙女のカリスマ」と呼ばれていた野ばらちゃんの影響が大きかった。

この物語、「非音楽家兼小説家」で突き抜けて傲慢な性格の主人公(男)が、自分を養ってほしいという極めて自己中な理由で婚活を始める、というお話。「俺に見合った嫁を緊急に探したい。これはいいという条件の女なら、速攻で籍を入れる」などという思いっきり突き抜けて傲慢な主人公のふるまいに、なぜかむしろサイコー!!な気分になる(これぞ野ばらちゃんワールド)。

あれから20数年。乙女だった私もすっかりアラフォーに。
最近はぬくい緑茶ばかり飲んでいる。
でも、いまだに野ばらちゃんの書いたものを目にすると、私の中の「自己中乙女スピリッツ」が呼びムクムクと覚まされるの。ウフフ。
(中央図書館・あいすろいみ)

動いている庭

動いている庭

著者: ジルクレマン/作

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庭だけど野生。野生だけど庭。
 あの草は取ってこっちの草はそのまま。ここにハーブか何か植える。石ころだらけのあの端っこにはシロツメクサの種を適当にばら蒔こう。庭を眺めてあれこれ考えるのはたのしい。とはいえ、自由放任を旨とする私の「庭作り」は、植えるなり蒔くなりした後は植物任せ。この場所に向いていれば育つし、そうでなければ育たない、その様子を愛でることなのです。
 シロツメクサは、雨のあとすぐに芽を出し、地面をうっすら緑色にします。芽が出るところと出ないところがあったり、時間が経つとまったく別の植物が茂っていたり、シロツメクサはというと別の場所にコロニーを移していたり。見飽きることがありません。

 そんな私の目の前に現れたのが本書でした。
 まず表紙の写真、それはまさに私が理想とする風景。そしてタイトル、それはまさに私が感じていたこと。続いて序文の一行目、「道端で思いがけない庭に出会うことがある。自然が庭をつくったのだ。そうは見えないけれど、こうした庭は野生のものだ。ある手がかり、例えば特徴的な花や鮮やかな色彩のために、まわりの風景とは違ったものになっている。」(p.5)…これぞ私のめざす庭です。

 庭師のクレマン氏はこうも言っています、「時間にゆだねることは、風景にチャンスを与えることだ。それは人間の跡を残しながらも、人間から解放されてもいるような風景を生み出すチャンスである。」(p.9)そして、自身の家での「動いている庭」作りを見せてくれます。おまけに、本書のように一見して固い本を読んだ時に抱きがちな、「これは図なり写真なりで見てみたい…」という欲求も満たしてくれます。(図版がふんだんに使われているのです)
 こうして本書は、私が折にふれ手に取る、大切な一冊となったのでした。
(中央図書館 くろ)

三体

三体

著者: 劉慈欣/作

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読んでから見るか、見てから読むか
映画好きの私には、しばしば課せられる難題があります。
それは、「読んでから見るか、見てから読むか」です。
いつも苦しい決断を迫られます。
既に読んだ作品が映画化された場合は何の問題もありませんが、私が悩むのは見たい映画に原作があると知ってしまった場合なのです。
読んでから見ると、既にストーリーがわかっている分だけ、映画の面白さが半減するのではないかと不安になってしまいます。
かといって映画を先に見ると、その出来映えによっては原作もつまらないかもと思い込んでしまい、読まなくなりそうで不安になってしまいます。
先日もそのような葛藤を経て、「読んでから見た」作品です。現実の物理学や数学の理論も使われていましたが原作を読んでいたことで理解しやすく、たのしんで見ることができました。
今回は、私にはこの順番が正解でした。

あなたなら先に読みますか?それとも、後で読みますか?
(中央図書館 SHITUCYO)

パレスチナのちいさないとなみ

パレスチナのちいさないとなみ

著者: 皆川万葉/作

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心配している、という立場
先日、作家のいとうせいこうさんが、ラジオでこんな話をされていました。

「ある社会問題について取り組む団体のアンケート調査で『賛成』『反対』という選択肢の他に、『心配している』という選択肢を設けていたんですよね。なるほどと思いました。『心配している』『気になってしかたがない』という気持ちに場所をあたえるべきではないでしょうか。」

第三者としてできることのなかに、心配するということがあるのではないか、といとうさんはいいます。

いとうさんには、パレスチナについてのすぐれたルポもあります(*)が、あえて写真家・高橋美香さんのこの一冊を。

ムハマンド(レストラン店員)、ハイサム(ハーブ摘み)、ビリン(床屋)、ジェニン(荷運び)、ナーブルス(キャンディー屋)、ナザレ(クナーファ屋)、タマッラー(布地屋)、ターメル(自動車修理工)……この本にはたくさんのパレスチナの人々の仕事、家族、人生、日常が紹介されています。

読むと、やっぱり心配になります。
いまどうしているかな、と。

*『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(2021)等

(中央図書館 KANCHO)

続窓ぎわのトットちゃん

続 窓ぎわのトットちゃん

著者: 黒柳徹子/作

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語りとしてのトットちゃん
先日、北房図書館の講演会「北房から世界を見てみよう」で、「オーラルヒストリー」という言葉を耳にしました。「オーラルヒストリー」とは、(大雑把な自己解釈ですが)体験者から直接語られた歴史、証言を記録し、まとめたものです。
黒柳徹子さんが、テレビのインタビューで「戦時中は、1日15粒の大豆で過ごすことになり、いつもお腹が空いていた。出征兵士を見送りに行くとスルメの足を1本くれるので参加していたけれど、こんな子ども達のことを思って、頑張って、戦死していたら・・・と思うと今でも責任を感じてといても後悔している」と話されているのを見ました。
戦後最大のベストセラー『窓際のトットちゃん』の続編として、昨年、42年の時を経て発刊された『続 窓際のトットちゃん』には、こうした黒柳さんの生きた「語り」がギュとつまっています。
「オーラルヒストリー」としてこの本を読むと、より現実感を伴った印象になり、深く心に刺さりました。
こうした歴史の地続きの上に私たちは生きているのだと何だか納得し腑に落ちる感覚がありました。
黒柳さんの語りに耳をかたむけてみませんか。
    (北房図書館   sora)

エジプトの女王

エジプトの女王

著者: ナショナルジオグラフィック/作

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前世は女王
私が子どもの頃は、土曜日が半ドン(午前授業で昼帰りのこと)だった。この解放感あふれる土曜日の午後、静かな部屋で読書(マンガ含む)に没頭することを、私は何よりも楽しみにしていた。
その頃の読書体験で今でも強烈に記憶しているのが、考古学者ハワード・カーター氏がツタンカーメンの墓を発見するというノンフィクションだ。
自分も一緒に発掘しているかのようにのめり込み、分厚い本だったと記憶しているが、最後まで一気に読んだ。気付けば部屋の中は薄暗くなっていた。
それ以降、エジプト文明に心酔するようになり、夢にまでピラミッドとスフィンクスが出てきたとき確信した。
「わたしの前世はエジプトの女王だったに違いない」

いつかエジプト考古学博物館に行き、ツタンカーメンの黄金のマスクと対面するのが、私の夢である。
(北房図書館  はにわ)

日本全国地元パン

日本全国地元パン

著者: 甲斐みのり/作

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パン好きも満足のローカルパン情報
レーズンは大嫌いだからそのままでは食べられない、けれどパンと一緒になってレーズンパンになれば食べれてしまう。というかレーズンパンは大好き(そう話すと、まわりからは「変なの~」と言われます)。
そんなパン好きの私が、この本ではじめて知ったのは、岡山のパンとして地元民にはなじみ深い「キムラヤ」の倉敷工場の売店の開店時間。朝6時から夜の10時まで営業しているという事実。それってつまり、どうしても食いとうなったら買いに行けるちゅうことか~!
すぐには手に入らない日本全国の地元パンの情報が満載。
いつか出会える日は来るかしらと、思いをはせつつ、本を眺めるのでした。
(落合図書館 紫)

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