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季節の不調が必ずラク~になる本

季節の不調が必ずラク〜になる本

著者: 瀬戸佳子/作

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花粉症デビューしました!
数年前から春が近づくと「なんだかくしゃみが増えたな」「ちょっと目に違和感があるな」と思ってはいた。でも受け入れたら余計に悪化しそうで、頑なに気のせいだと自分に言い聞かせていた。
けれど今年の春の目のかゆさにはもう我慢できなかった。かゆい。私はついに花粉に屈したと認めざるをえなかった。

まだ症状が軽めな今のうちになるべく手軽にできる対策はないかと思っていた時、ゆるめなタイトルに惹かれて手に取ったのがこの1冊。
漢方や薬膳の視点から教えてくれる「養生」の仕方は、日々の生活に取り入れやすいものがいっぱい。
体にいいと思ってやっていたことが、実は季節の不調と相性が悪かった……なんてこともちらほら。
これからの時期に心配な夏バテや熱中症についても、この本を片手に早めに養生していこうかな。
(蒜山図書館・888)

ふわふわ

ふわふわ

著者: 村上春樹・安西水丸/作

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村上ワールド
この題名と表紙を見ると、かわいいネコが出てくるラブリーな絵本だと思うことだろう。
しかし、作者は「村上春樹」である。
よい子のみんなは、最初のページを開いた途端、軽く裏切られたと思うに違いない。
作者の、「猫」という生き物に対する愛が哲学的に語られている。
村上節炸裂の比喩表現が多用され、あっという間に猫と作者の濃密な世界に引き込まれていく。
そして絵は、作者と長年親交があった安西水丸氏。
捉えどころのない線がのたくっている、だれでも描けそうで描けない絵が、深く考察する必要のある文と相まって、村上ワールドを完成させている。

そう。
私はだれがなんといおうと、村上春樹が好きなのだ。

(北房図書館・はにわ)

あしなが蜂と暮らした夏

あしなが蜂と暮らした夏

著者: 甲斐信枝/作

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身近なものを見つめ続ける
あれはまわりの山々の緑が濃くなってきた、初夏のころだったでしょうか。
仕事を終え、図書館から車に向かう途中、ふと目の端に見慣れないものが目に入りました。立ち止まって植木の方を見てみると、ちょうどとっくりを逆さにしたような茶色い物体が木にぶら下がっているではありませんか。ここは図書館員、調べてみるとどうやらハチの巣であることが判明。ふむふむと納得しながらも、殺生が苦手な私はそっとそのままにしておくことに…
そんな思い出が本書を手に取ったきっかけになっておるのですが、自然を深く深くつぶさに観察し、言葉に表されているこの本は絵本作家として有名な筆者の挿し絵がなくとも、あしなが蜂の命の営みが頭に思い浮かべられます。そして、筆者の観察対象への愛情はその最後までを見届けられる内容からもうかがうことができます。
わたしが調べるだけで満足してしまったあのハチの巣はどうなってしまっただろう。もしかしたら壮大な物語を逃してしまったかもしれない…。
( 落合図書館・ジジ )

私は負けない

私は負けない

著者: 村木厚子/作

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あの事件、気になっていました。
雑誌をめくっていると、村木厚子さんのインタビュー記事が載っていた。その時、私の脳裏に蘇ってきたのが、2009年「郵政不正事件」で村木さんが逮捕されたときのニュース映像だった。厚生労働省の局長という高いポストに女性がついていたことが当時は珍しく、また優しそうなどこにでもいるお母さんに見えたため、印象に残っていた。その後、彼女は無罪を獲得する。あの事件は何だったのだろう。事件の詳細を知りたいと思った。
この本は、逮捕・拘留されてから無罪を勝ち取るまで、彼女が感じていたことが丁寧に書かれている。取り調べでは、無実であることを話しても検察官は取り合ってくれず、検察側に都合の良い調書に書き換えようとする。圧倒的に検察に有利な状況で、関係者が次々と虚偽供述に追い込まれる中、勝てなくても負けないという精神で彼女は戦う。
読みながら感じたのは、なんて強い人だろうということ。まず拘留初日からしっかり睡眠をとっていたことに驚いた。また、検察の度重なる卑怯なふるまいに対して、「負けるものか」と闘志を燃やし続けている様子が印象的だった。親近感が湧いたのは、本を読むのが好きらしく、164日間の拘留では大量の本を読むことで気持ちが落ち込まないようにしていたことだ。
事件の流れだけなら、ネットのウィキペディアなどで知ることができる。しかし本を読んだことで、当時何を感じていたのか、どのように戦ったのか、より深く知ることができた。
(美甘図書館・かも)

かみきこうち

かみきこうち

著者: 神木隆之介/作

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出会いに感謝
大学生の頃から神木隆之介くんの大ファンの私。
あるとき、神木くんの写真集お渡し会が広島で開催されることを知り、友人と一緒に電車を乗り継ぎ、隣県へ向かった。
会場で長い行列に並ぶこと1時間、とうとう迎えた自分の番。私は神木くんのまばゆいばかりのオーラに圧倒され、頭が真っ白に。あらかじめ友人と練習しておいた会話の全てが吹っ飛んだ上に、神木くんから写真集を受け取った私は「ありがとうございます」を小声で繰り返しながら出口のほうへはけるしかなかった……(私の持ち時間はまだあったのに!!)。
それでも、一瞬でも憧れの人に会えたこと、この小さな思い出を糧にこれからの人生を生きていく。ありがとう、神木くん。

……といまでも思っているわけだが、その理由だけで本書をとり上げたわけではない。本書はNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公を演じた神木くんが、「牧野富太郎を知りたい」という思いから舞台となる高知を訪ねている。エッセイ、写真集、ガイドブックの3つの要素を兼ね備えたビジュアル紀行ガイドとなっている。
地域に根差して活躍する方々との対談、現地にいるかのように感じられる豊富な写真、牧野さんをモチーフにしたお土産や高知のおいしいお店など、厳選されたおすすめ情報がたっぷり紹介されている。
高知の豊かで懐深く、新旧の魅力の数々を感じることができる。読み終えて私も高知に行きたいと思った。
「神木くん」「高知」「らんまん」のそれぞれのファンが満足するのは当たり前だが、むしろそうでない人にぜひ読んでいただきたい。
神木くんの人柄、高知の伝統や風土、牧野さんの残したものなど、自分の知らなかった高知に出会うことができるだろう。
(湯原図書館・ノサミ)

神さまたちの遊ぶ庭

神さまたちの遊ぶ庭

著者: 宮下奈都/作

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楽しいことは真剣に
家族のたっての願いで北海道に移住した1年間を描いたエッセイ集。
一家が暮らしたのは北海道のど真ん中、冬場に外にいたらコンタクトレンズ(断っておきますが目の中に入れているやつですよ)が凍った、という信じがたいエピソードがさらりと出てくる油断のならない酷寒の地での厳しい暮らしが描かれている。
でも、読後感はえらいこと楽しい。
私のような無精で臆病な人間が軽々しく楽しいなどと言ってはいけないかもしれないが、やっぱり読後の素直な感想は、「楽しい」だった。その理由を考えると、著者の細やかで心にすっと入り込んでくる柔らかな文体もあると思う。また、一家の、濃くて愉快なキャラクターにもよると思う。でも一番は、出てくる人たちみんなが“真剣”だからだろう。行事でも日常のことでも、まず大人たちが真剣に楽しむ様子が描かれている。例えば、小中学校合同運動会。子どもたちの数が少ないので、町内総出で手づくり感満載の会になる。そして、そこに手心は一切加えられない。障害物競走は、「むせて掘り出せないよね普通」というツッコミを入れたくなるくらいの大量の小麦粉の中に、深く深くマシュマロを埋め込む。リレーをすれば「一般的な成人のレベルじゃない」と言わしめるほど、異様に足の速い先生たちが俊足を競い合う。学芸会ともなれば、練りこんだ台本に凝った衣装や小道具を用意し、ピアノ伴奏者は演者に合わせて楽譜をアレンジしていくなど、町内全体で盛り上げていく。
それを見た子供たちが思わず「カッコいい」とつぶやく。
それがとても気持ちいいのだ。
楽しいことは真剣から生まれる。
(中央図書館・だいず)

私たちの世代は

私たちの世代は

著者: 瀬尾まいこ/作

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カレンダーの付箋
わが家では、家族の予定を付箋に書いてカレンダーに貼っている。
先日、4月の予定の張り替えたら、空欄が目立ち、少し寂しかった。
末っ子がこの春、中学生になり、スポ少や習い事、学校行事などこれまでつかっていたたくさんの付箋が不要になったからだ。

そんな白いカレンダーを見て、あのときの事を思い出した。
コロナ禍だ。
子どもの行事も大人の行事も徐々に少なくなり、カレンダーは真っ白になった。
初めて経験した自粛ムード。でもだからこそ考えた人との付き合い方や距離感、そしてこれからの生き方。息苦しい気持ちの反面、人がいなくなった町で感じた開放感。
そんないろんな気持ちがこの本を読んでいたら思い出された。
ついこの間のことだったのに。

この本の主人公は、全く違った環境の中で育った小学3年生の二人の女の子。コロナを恨み、コロナに感謝しながら大人になっていく様が15年にわたり描かれている。二人が、人生を肯定的にとらえられるようになるのに、何が必要だったのか……コロナ禍という経験を子どもの目線で描く。

私はあのとき自分時間を楽しむスキルばかり身につけた。それはそれで楽しかった。しかし、ふりかえって思うのは、やっぱり人は人と関わってこそ、生きていけるのはないだろうかということだ。この本の主人公の二人の人生とも重なる。
カレンダーの付箋はやっぱり多いほうがいい。

コロナ禍の開始から5年回目の春を迎えた。
10年後、私たちはどう変わっているのだろうか。

(中央図書館・いみ)

嘘みたいな本当の話

嘘みたいな本当の話

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事実は小説よりなんとやら
私は思わずニヤリ。そしてホッコリする話が好きである。それが作り話のような実話であればますます興味深い。
この本には、Web文芸誌「マトグロッソ」に寄稿された日々の些細な物語の中から、選者が選りすぐった作品がテーマごとに紹介されている。。1行完結のものからじっくり読ませるもの、最後にそうくるかというオチまで。世の人々の見解の広さにツボる。そして、ほしよりこさんの装画にもニヤリ。
ということで、私も寄稿。

双子の姉の話。
お気に入りのブーツを履いた姉と出かけた。ドラッグストアでウロウロしていたとき、ふと姉の足元をみると何かが落ちている。ん?ゴミ?いや、まじまじ見るとそれは姉の靴底の一部であった。なんと靴底が限界をむかえ劣化してはがれおちていたのである。
そういえばさっきから後ろに人の気配があった。それは見つけたゴミはひとかけも残すまいと一心不乱に掃除をする店員さんだったのだ。
店内のあちこちに靴底を落とし歩いた恥ずかしさと気まずさで慌てて店を出て駐車場へ向かう途中、ブーツの底は完全に終わりを迎えた。地面にボトンと落ちた靴底に失笑する姉。それを見て大笑いする私。
(でもそれ以上に店員さんのぜんまじかけのネズミのような動きが思い出されほっこりとした笑いのツボにはまる二人であった)。

う~ん、これはボツかな。
(中央図書館・ヨラコ)

傲慢な婚活

傲慢な婚活

著者: 嶽本野ばら/作

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アイスロイミ
「アイスロイミ」
これは、学生時代、私が考えたアイスロイヤルミルクティーの略称。この略称が可愛いってだけで、アイスロイヤルミルクティーがお気に入りの飲み物になった。これがいいと思ったんだからいいでしょって感じ。
そんな自己中マインドは、この本の著者で当時「乙女のカリスマ」と呼ばれていた野ばらちゃんの影響が大きかった。

この物語、「非音楽家兼小説家」で突き抜けて傲慢な性格の主人公(男)が、自分を養ってほしいという極めて自己中な理由で婚活を始める、というお話。「俺に見合った嫁を緊急に探したい。これはいいという条件の女なら、速攻で籍を入れる」などという思いっきり突き抜けて傲慢な主人公のふるまいに、なぜかむしろサイコー!!な気分になる(これぞ野ばらちゃんワールド)。

あれから20数年。乙女だった私もすっかりアラフォーに。
最近はぬくい緑茶ばかり飲んでいる。
でも、いまだに野ばらちゃんの書いたものを目にすると、私の中の「自己中乙女スピリッツ」が呼びムクムクと覚まされるの。ウフフ。
(中央図書館・あいすろいみ)

動いている庭

動いている庭

著者: ジルクレマン/作

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庭だけど野生。野生だけど庭。
 あの草は取ってこっちの草はそのまま。ここにハーブか何か植える。石ころだらけのあの端っこにはシロツメクサの種を適当にばら蒔こう。庭を眺めてあれこれ考えるのはたのしい。とはいえ、自由放任を旨とする私の「庭作り」は、植えるなり蒔くなりした後は植物任せ。この場所に向いていれば育つし、そうでなければ育たない、その様子を愛でることなのです。
 シロツメクサは、雨のあとすぐに芽を出し、地面をうっすら緑色にします。芽が出るところと出ないところがあったり、時間が経つとまったく別の植物が茂っていたり、シロツメクサはというと別の場所にコロニーを移していたり。見飽きることがありません。

 そんな私の目の前に現れたのが本書でした。
 まず表紙の写真、それはまさに私が理想とする風景。そしてタイトル、それはまさに私が感じていたこと。続いて序文の一行目、「道端で思いがけない庭に出会うことがある。自然が庭をつくったのだ。そうは見えないけれど、こうした庭は野生のものだ。ある手がかり、例えば特徴的な花や鮮やかな色彩のために、まわりの風景とは違ったものになっている。」(p.5)…これぞ私のめざす庭です。

 庭師のクレマン氏はこうも言っています、「時間にゆだねることは、風景にチャンスを与えることだ。それは人間の跡を残しながらも、人間から解放されてもいるような風景を生み出すチャンスである。」(p.9)そして、自身の家での「動いている庭」作りを見せてくれます。おまけに、本書のように一見して固い本を読んだ時に抱きがちな、「これは図なり写真なりで見てみたい…」という欲求も満たしてくれます。(図版がふんだんに使われているのです)
 こうして本書は、私が折にふれ手に取る、大切な一冊となったのでした。
(中央図書館 くろ)

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