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じんかん

じんかん

著者: 今村翔吾/作

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汗が襦袢を濡らしている。
戦国時代の三大梟(きょう)雄(ゆう)(悪人)と言われている松永久秀の一生を描いた物語。予約・リクエストされた時、本があまりに太すぎて、一回では探せなかった。また、本棚を占領してしまい、本の形も崩れやすい。本の厚みに少し腰が引けるかも・・・
久秀の世間一般のイメージとは全く違い、とても魅力的な一人の男の姿に描いている。読み始めたら、いきなりその物語に引き込まれる。
「じんかん」という題名であるが、「人間」を「じんかん」と読ませている。「人間」を「にんげん」と読むか「じんかん」と読むかで厳密には意味が異なってくる。「にんげん」は「ひと」の意味、「じんかん」だと「世の中、世間」の意味となる。
織田信長が好んだ熱盛の詩(「じんかん」の中にも信長が重要な役で登場する。)
「人間(じんかん)五十年、化天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなり」訳:人間世界の五十年は天界の一日に相当する。つまり人間の一生は、一夜の夢のようなもの
人間同士で、戦ったり、妬んだり、悩んだり・・
一日ひとつでいい「笑えること」を見つけてみよう。今日見つからなくても、明日は見つかるかも。ひとの一生は一瞬のことなのだから・・・

(中央図書館 S)

6さいのきみへ

6さいのきみへ

著者: 佐々木正美/作

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くつをはかせてくれてありがとう
娘はのんびりやさんです。こども園に入園したばかりの3歳の頃、降園時に靴を履くのが1番遅くて園長先生に履かせてもらっていました。成長するにつれて、靴もちょっとだけ早く履けるようになりました。4歳児クラスが修了する頃、靴を履かせてくれていた園長先生が転勤になりました。
「3さいのときくつをはかせてくれてありがとう」とお手紙を書いた娘。
この絵本を読んで、そんなことを思い出しました。今では自分の靴を履いた後、2歳の弟の靴を履かせてくれます。ときどき弟に負けます。
育児書で有名な佐々木正美先生の絵本です。

(中央図書館 あいすろいみ)

まるごとうちゅうカレー

まるごとうちゅうカレー

著者: チョーヒカル/作

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食せよ、宇宙!!
カレーといえば…
実家に居た頃、夕飯にカレーが出ると、次の日の朝食が楽しみでした。
いつもはパンだけど、カレーが出た翌朝は白ご飯でいただきます。
朝からカレーは重い…と思うかもしれませんが、
まだまだ食べ盛りだった私は、ペロリと平らげていました。

…というのをこの本を読んで思い出しました。
カレーというものは、何歳になっても完成を想像して、料理の過程からワクワクします。
そのワクワクを、この絵本でも感じることができます。
チョー ヒカルさんの幻想的な惑星の絵も、惑星を料理していく過程もしっかり楽しめます。
この惑星ってこう料理するの…!?とページをめくるが止まりません。

この絵本を読んだあなた、今日のご飯はカレーで決まりです。

(中央図書館 M)

noimage

猫があなたに伝えたいこと

著者: 岩津麻佳/作

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意外と知らない?あの子の一面
返却されてきた本を見ていたら、表紙の猫ちゃんがうちで飼っている子に似ていて思わず手に取りました。
ゴロゴロ甘えるのが大好きな子、群れないクールな子、ご飯に向かって猪突猛進な子、色んな性格の猫たちがうちにもいます。
この本では、先輩猫とのやりとりや、どうしてその行動をするのかを、動物の心の声を聴くアニマルコミュニケーターさんが教えてくれます。(うちの子は見てもらったことないので、もしかしたらこんな気持ちなのかな~と想像ですが)
猫と一緒に暮らしていてもっと仲良くなりたい方、もっと知りたい方はぜひどうぞ。
(中央図書館 I)

旅する力

旅する力

著者: 沢木耕太郎/作

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旅という病
 「旅行」というと多くの人は、観光地、リゾート地、温泉、ご当地グルメ等、「楽しむこと」を目的にされているのではないかと思います。
 また、家族や友人と出かける方が多いのではないでしょうか。
 旅行好きが高じて旅行業の資格を取得した私は、旅行の幹事を頼まれたり、旅程の作成依頼を受けたりしますが、ほぼ皆さん「楽しむこと」を目的としておられます。
 私はどのタイプの旅行も好きですが、本当は一人旅が好きなんだと思っています。言葉の通じない、知らない場所で、一人で食事をして、話し相手もいないのにと思われるかもしれません。でもなぜかわかりませんが、充実した旅になっています。 
 もし、そうなのかなとか興味を持たれた方は、ぜひこの『旅する力―深夜特急ノート―』をご一読ください。
(中央図書館 SHITUCYO)

中原中也

日本語を味わう名詩入門 6

著者: 萩原昌好/作

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たまには「詩」でもいかがですか?
小さなころから「詩」というものが、創作するのも、読むのも苦手でした。
短い文の中に気持ちがぎゅっと込められていて、なんだか恥ずかしさを感じてしまうのです。
大人になって著者の風貌から興味を惹かれ(この本には著者のお姿は出てきません。)手に取った本ですが、
短いからこそひとつひとつの言葉に力強さがあるようで、頭の中に情景が浮かんで流れるような言葉選びに詩の楽しさを知ったような気がしました。
(中央図書館 O)

本を読めなくなった人のための読書論

本を読めなくなった人のための読書論

著者: 若松英輔/作

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読書って自由でいいんだった。
ついつい子育てや家事に追われ、自分のことは後回し。(司書なのに)本を読めないことに、罪悪感を感じることもしばしば。
最近は昔のような読書(好きなものを好きなだけ読む)ができてないことへの焦りがありました。
でも、この本を読んで、そんな気持ちは持つ必要がないと安堵しました。
また不安になったら何度でも読み返します。

(中央図書館 いみ)

スペイン修道院の食卓

スペイン修道院の食卓

著者: スサエタ社/作

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図書館でしかできないこと
図書館ってどんな場所か、を私に教えてくれた一冊です。

館長になってしばらくしたある日の夕刻、料理本の棚の前で本の返却をしている職員Fさんに声をかけた。
(私)「レシピはネットで調べる時代。料理の本を見に図書館にくる人って、どんな方なんでしょうね」
(Fさん)「これって決めってっていう人もいますが、漠然と『料理の本を』と思って来る人もいますよね」
そこに、U司書が通りがかった。U司書はおもむろに本棚から一冊の本をとりだして、
(U司書)「カンチョー、図書館に来ると、こんな本にも出会えるってことではないですかね」
それは『スペイン修道院の食卓』という大きな本だった。
(私)「たしかにこの本は『検索』でひっかけることはできませんよね」
(U司書)「その思いがけない出会いがあるのが図書館ですかね…」

「AIによる自動オススメ」の対極に図書館はあります。
うろうろするから、思いがけず出会えるものがあります。

とても非効率だけれども、それがなければ人生はつまらない。

ですよね!

お待ちしています。

*各修道院の概略もわかります。修道院ごとのレシピが掲載されています。
 例)プッチ王立修道院:イカスミのパエリア
   サンクティア スピリトゥス修道院:サツマイモのアーモンドのクッキー

(中央図書館 KANCHO)

自家醸造を楽しむ本

自家醸造を楽しむ本

著者: アドバンストブルーイング/作

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自分で作れるって最高!
わたくしは根っからの文系人間なのですが、父が化学の先生だったせいか子どもの頃は家でよく実験の真似事をして 遊んでいました。
顕微鏡をもらって池の水を見たり、卵のパックに朝顔の花の色水を作ってガラスのスポイトでお酢たらして色を変えたり、じゃがいもから澱粉を取ったり。
バナナの匂いのする歯磨き粉にはバナナは入っていない ということを知ったのもこの頃でしたっけ。
真庭に移住して来て、定番の梅干しだけでなく、こんにゃくや粒マスタードや塩麹などなどこれまでお店で買うものとばかり思っていたものを自分で作る機会がちょいちょいありまして、そんな時には幼い頃の「実験」が思い出され血が騒ぐのでした。

さてこの本には、なんとあのミード(蜂蜜酒)の作り方が載っています。わたくしが愛してやまない、ローズマリ・ サトクリフによるローマン・ブリテンものでもお馴染みの飲み物です。あの憧れの飲み物を自分で作れるなんて、感激!材料はそろえたので次の休みに仕込んでみたいです! 最低半年、5年くらい寝かすと色も香りもとても美味しいらしいです。
(中央図書館 くろ)

GIFTED

GIFTED

著者: 小野伸二/作

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カーテンを開ける
人生で一度だけJリーグを観戦したことがある(というか一度しかない)。
そこで素人目でも、まったく違うレベル、とわかる選手がいた。
かっこいい……ため息が出た。
小野伸二選手だった。
浦和レッズに入団したての18歳。少年の面影を残していた。

この本には、伸二少年がサッカーと出会った頃の喜びが綴られている。
日曜日には試合があった。朝、自室のカーテンを開け、晴れだったら「今日も試合ができる!!」と狂喜したという。

そして、最近の子どもたちが少し気になる、と次のようにいう。

「ときどき思うのは、今の子はちょっと教えられすぎじゃないかな、ということ。(中略)いろいろなトレーニングをして、いろんなスクールに通って、さまざまな指導者に教えてもらうことは確かにレベルアップにつながるんだろうな、と思う。
でも、どこかやりすぎ、教えられすぎな気がしている。
あの、ドキドキしながらカーテンを開けるときの気持ちを知らないんじゃないだろうか、って。」

英語では、スポーツも、音楽も、演劇も、すべてPLAYするもの。つまりは遊びだ。

先の東京五輪のスケートボードの選手たちを思い出す。
国など関係なく、新しい技=試み・冒険をした選手を称えあい、抱き合っていた。
まるでまちのストリートで遊んでいるかのようだった。
競技自体がまだ若いから遊びでいられるのだろうか。

いま、子どものスポーツの傍らには必ず大人がいる。
指導の名のもと、結果を残すことばかりに気をとられ、遊びの時間(自分の時間)でなくなってはいないだろうか。
カーテンを開ける喜びを保障してあげられているだろうか。
(中央図書館 KANCHO)


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